京都 島原花街

今日は奥さんと子供を木津に送っていってその足で先日見つけた京都・島原の角屋に行ってきた。

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表玄関から入ると真正面に料理場や帳場に入る入口がある。

客は右に折れると玄関になる。

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玄関左に刀箪笥や刀掛けがあった。

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一番奥にある松の間。

その手前に網代の間がある。

二階の見学は要予約。

古い木造建築で重文に指定されてることもあり一度に二階に上がる人数を制限したいので予約制にしてるとのこと。

ここで私が勘違いしてた島原の形態。

単純に東京の吉原と同じ遊郭だと思ってた。

今日説明を聞いたら「花街」であって遊郭ではなかった。

吉原は花魁(おいらん)島原は太夫。

島原の形態は祇園そのままで芸妓が舞や歌を披露する場所やった。

そんな舞や歌を見ながら宴を開くところが角屋などの揚屋や置屋ということやった。

そんな角屋が一般公開されてる。

幕末の混乱のなか、倒幕派、攘夷派両方が角屋にあがってるとのこと。

近藤、土方、西郷、木戸、坂本など聞いた名前の人物が同じ廊下を歩いたと思う。

中でも新選組の芹沢鴨は暗殺された日に松の間の床の間の前で座ったことは間違いないらしい。

今度、12月12日に京都幕末旅情ポタリングの時、もう一度訪問する予定。

今度は予約して二階にも上がってみたい。

柱に刀傷が残ってるらしい。

4 comments on “京都 島原花街

  1. 伊東甲子太郎も最終的には暗殺されましたが、、芹沢鴨の場合も粗暴だから暗殺したというよりは、安酒場ではなく、そのような場所で飲んでいたなら
    やはり権力争いだと考える方がいいのでしょうね。

    先日僕は 関ヶ原に行きましたが、現場に行くと見えてくるものがありました。
    興味深い ブログでした。ワクワクです。

  2. テラさん、こんにちは。

    芹沢の暗殺の原因はどうなんでしょうね。
    近藤や会津藩が手を焼いてたのは確かでしょうね。
    現場に立つと五感に感じるなにかがありますね。

  3. 青春時にワクワクしながら「竜馬が行く」等を読んだ私ら世代には
    たまらない場所ですね

    12月には自転車で回るのだなと思うと
    なんだか興奮してきましたよ

  4. クロマメさん、こんばんは。

    旧千本通りと幕末と関わりが深いのを走ってみて判りました。
    鳥羽伏見の戦いの場であったり羅生門が有ったとか。
    そんな場所をゆっくり走りましょう。

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