1989年 春

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もっちゃんのページで発売を知ってamazonで注文してたDVDが日曜に来てた。
いまや伝説になりつつある1989年の日本GP。
レイニーvsシュワンツのサイドバイサイド。
現地のスプーンカーブ立ち上がりで見てた。
ブラックマークを立てながら排気音が揺れながら立ち上がってく後ろ姿が今でも目の奥に残ってる。
「排気音が揺れながら立ち上がってく」と言うのは綺麗に一定の回転の上がり方じゃなく空転するリアタイアをアクセルコントロールでなだめながら開けて行ってたから。
家に帰ってからテレビでまた見たがダンロップで横になりながら立ち上がってくるレイニーの姿が強烈に残ってた。
DVDで確認したが13周目やった。
DVDでは、みしな昌俊・伊藤春雄のサーキット内で流れてた実況と排気音だけ。
清○国○の変な解説もなく23周一気に見てしまった。
レイニーとシュワンツが印象が強すぎ他のライダーが記憶の中では霞んでしまってたがポールポジションは平忠彦でクリスチャン・サロン、ワイン・ガードナー、エディー・ローソン、ケビン・マギー、二ール・マッケンジーとか懐かしいライダーが一杯やった。
中でも、リーンウィズのクリスチャン・サロンと思ってたがこのDVDではハングオンしてる。

前田 淳

mixi繋がりのtan2さんの記事で前田 淳選手の永眠記事を見た。
マン島TTレース予選中にクラッシュしマンチェスターの病院で亡くなったとの事。
彼がノービスやジュニア時代に所属してたチームのメカニックにお世話になってたので
何度も話もし食事も一緒にしたこともあった。
このチームで初めてのレースは鈴鹿サンデーレースのノービスF3。
単車は水冷になったCBR400。ウインカーも点くまったくのドノーマル車だった。
こんなんで予選大丈夫なのかと思ってたら決勝で7位か8位になった。
「うわー、こんな奴がおるんや」とびっくりした。
四時間耐久のペアーライダーは北川 圭一選手だった。
エントリー台数が800台とかまさにバイクブーム真っ最中の時代。
ちょっと記憶があいまいだがその中で優勝したはず。
その頃の彼のライバルであった永井 康友選手もオランダでのレース中に永眠してる。
国際A級に上がってからは色々苦労しながらレースを続けてたが一時引退。
その後テレビでマン島に挑戦してる姿が映ってて「頑張ってるねんな」と思ってた。
北川選手は現在も国内トップクラスで活躍中。
彼の名前で検索したらオフィシャルページに引っかかった。
ちょっと悲しすぎるよ。

2006年5月15日 
オフィシャルページオープン。
2006年6月6日 
前田淳を応援してくださった方々へ
http://www.junmaeda.com/
これからレースや仕事でもっと頑張るぞと考えてたんだろうな。

ご冥福をお祈りします。

RZ250

RZ250ネタなんですがさすがに昭和56年7月登録で阪神優勝が昭和60年(1985年)やから
後三ヶ月で満25年を迎える。
先週の土曜日にひっさしぶりに走ったときタコメーターから異音が出てた。
機械式メーターの宿命とはいえもっと早くつぶれといて欲しかった。
メーカー在庫無し、製造終了!
スピードメーターは5年前に潰れたけど在庫あった。
その時に一緒に潰れとけよ。
レストアしてくれる所をネットで見つけたが大体2.5万円かかるらしい。
ヤフオク見てても外見が私のより良いのがない。
古いのを乗ってると仕方ないとは言え痛いな。
そろそろオークションとかでスペアー部品集めなければいけないかな。

曇ったバックミラー

バッテリーを充電しタイヤの空気圧をチェック
ガソリンとオイル、水を確かめ長くOFFにしていたガソリンコックのレバーを回しONにした
キーを回すと緑のニュートラルランプと赤のオイルランプが点燈し同時にYPVSのサーボモーターが回った
準備が完了
チョークノブを引きキックアームを出し二度の空キックのあとエンジンに火が入った
二度レーシングさせてチョークを戻し暖気
チャンバーからのコモッた音が段々と乾いた音に変わり水温計の針が動き出す
ヘッドライトのスイッチをON
水温が50℃になるのを確認しギアをローに入れた
信号待ちで曇ってたバックミラーをグローブで磨き信号が変わるのを待った。
4月8日黄砂の夜

ちょっと自分の世界に浸った

SUZUKA 8H

今日、今年の8Hのダイジェスト放送があった。

結果は、順当にホンダワークスのワンツーフィニッシュ。
面白くもなんともない結果。
しかし、TVに昔お世話になった人が数カット写ってた。
某チームのメカニックの方でエンジントラブルを対処する映像の中に居られた。
4サイクルエンジン、2サイクルエンジンともに知識に長けた方で色々教えてもらった。
しかし一つだけ教えてもらえなかったのが4気筒エンジンのクランクのバランシングの仕方。「これは門外不出や」とニコッと笑われてた顔が今も頭に残ってる。
レーシングメカと言うより開発をされてるので普段は工場に居られて日本GPや8Hの時だけピットに入られると聞いてた。
もう15年程お会いしてないが全然変わってない。

信貴スカ

jaja51さんローラーおとこさんに呼び起こされたので信貴スカネタ

私の単車歴はYAMAHA MR50 RD250&350 HONDA CB750 SUZUKI RG250 YAMAHA RZ250&350 YAMAHA TZR250 FZ750 TRX850 Kawasaki W650
免許暦からしたら少ないほうだと思います。
信貴スカ時代は、RD250&350 HONDA CB750 SUZUKI RG250の頃。
初めて信貴スカに行った時知り合いがCB125JXっていう4サイクル単機筒で来ていた。
他にその知り合いの仲間で3台のCB125JXとヨーイドン(高安T字から)となったのだがコーナー三つで見えなくなりました。
その悔しさって想像つくでしょうか。
排気量350対125でおまけにこっちは2サイクルです。
スタート前は、勝負にならんなと思ってたら勝負になりませんでした(;_;)
そこから信貴スカに通いつめて125に負ける事はなくなりましたが速い人間はなんぼでも居ました。
で走ってるメンバーの何人かが鈴鹿のプロダクションレースに出てたので私もスポーツライセンスを取りRDやCBでスポーツ走行を楽しんでました。
シケイン無しの時代でCBで走る最終コーナーは恐怖でした。
CB750を売り払ってRG250を買いプロダクション250にエントリーしてレース前日の練習走行で飛んでしまい(スプーンカーブ入り口)単車は廃車、人間は肋骨6本骨折&股関節脱臼でベッドの人となりレースデビューする事無く終わりました。
怪我後、二年間おとなしくしてたのですがRZ250を見るたび虫が騒ぎ出し購入。
今思うとRZ250はブレーキが甘いしピーキーだしでそんなに良い単車じゃなかったと思います。
トータルでRZ350が乗りやすく良い単車でした。
その後YPVSの*50になるともっと乗りやすくなりました。
もうこのRZは売ることは無くズーッと手元に置いときます。